レーニンの部屋

色んな視点から独ソ戦を見るブログです

労農赤軍の新聞

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新聞を出す軍隊?

 ソ連において新聞とは何か特別な力を持った手段のように考えられています。革命家たちは地下で新聞を発行して大衆を「宣伝」・「煽動」し、自分たちの目的を明らかにしてきました。革命後も、ソ連の指導者たちは新聞を通じて社会主義社会の実現を唱え国民の理解を得ようとしてきました。一方で、ソ連社会では共産党だけでなく労働組合や行政組織である人民委員部、学術機関や軍隊に至るまで立場を異にする多くの組織が独自に機関紙を発行してきました。しかし、資本主義社会の新聞とは違い、ソ連では個々の機関紙が労働者や兵士などその読み手の意見を代表する形で政治に異議を唱えたり各組織の意見の相違が反映されるのは稀でした。何故ならソ連社会において新聞とは、共産党組織のイデオロギーを増幅させ肯定するのが主目的だったためです。

 さて今回はその背景を踏まえながら、労農赤軍内部の新聞事情について限定的ですが、紹介させていただきたいと思います。軍隊が新聞を発行するのは確かに珍しくはありません。例えばアメリカ軍の機関紙「星条旗」は軍人の読み物として広く普及していますし、戦場では「陣中新聞」と言って兵士のレクリエーションを目的に新聞を発行したケースが日本軍でもあります。陣中新聞は『大砲とスタンプ』でも取り上げられてましたよね。それよりも読者層は小規模にはなりますが、艦内新聞が日本海軍の艦船内でもありましたし、現在の自衛隊にも部隊新聞があったりします。また軍政が敷かれた地域や捕虜収容所で軍隊が新聞を発行する例もあります。軍隊が人間という文化的な知的生命体の集まりである限り、常に娯楽や情報を欲する感情が存在し、それゆえに軍隊と新聞とは切り離せないのでしょう。

 しかし赤軍においては、自国軍隊でも小さな規模つまり連隊や中隊レベルにまで新聞が存在していたのにも関わらず、それが「星条旗」新聞とも違って共産党政権に追随するものであり、共産党イデオロギーを軍隊の最先端にまで行き届ける役割を果たそうとした点に特異さがあります。対峙するドイツ軍でも、宣伝部隊と言ってプロパガンダ作成を主任務とする独立した組織があり、ドイツとソ連の妙な酷似を感じさせますが、それでも赤軍では各部隊に新聞発行者が配置されていたという点でやはり独特です。新聞出版とは、赤軍に設置された多数のクラブや劇場・映画館と並んで兵士の社会主義教育を施すための一手段でした。 

 

注意点

 

 さて最初に述べさせていただきますが、これから紹介する数値や基準はあくまでも昭和8年(1933)に出版された『赤軍戦時の政治作業』に基づく内容です。この本では新聞業務の詳細に触れているのですが、具体的にいつの時代を言及しているのかは不明です。そのためこれが内戦時の基準だったのかそれともその後の時代の基準だったのかは分かりませんが、あくまでも1920~1930年代のガイドラインであるのを踏まえていただきたいです。

 さらにもう一つ重要な点があります。このガイドラインは後の冬戦争や独ソ戦大祖国戦争)時のとは合致しない可能性があります。何故なら上述の本が出された時の赤軍における新聞発行部数は各小隊に1部〜2部が配布される程度であり、多くは政治教育をする際の教材として用いられていました。しかし、一端戦争が始まると兵士を大量に育成するため政治教育はカットされ、訓練キャンプにて復活するのは1944年に入ってからでした。つまり政治教育を行うための教材としての新聞の側面は、戦時中は機能不全に陥っていたと考えられます。また共産党の機関紙である『プラウダ』を兵士が個人で読む姿も多く撮影されており、こうした部隊レベルの枠組みを超えて、広く全軍に普及していた新聞もあります。

 このようにこれ以降の内容は、ある程度眉に唾をつけて読んでいただければ幸いです

 

 

発行状況

 

 軍管区~師団

 このレベルの特徴は、部隊に「政治部」と呼ばれる組織がある点です。基本的な政治将校の役割は、政治教育や部隊管理等ですが、複数の事務員を擁する政治部が置かれた師団以上になるとプロパガンダ作成などより高次的な政治活動が可能になります。自然、新聞発行回数も下級司令部より上がり文量も増えます。なお、上述した通り発行数はあくまでも各小隊に1~2部あたる程度なので、師団新聞も自部隊内では250~300部ぐらいしか発行されていません。これらの新聞を用いて各部隊のポリトルーク(政治指導員)が読み聞かせや談話を通じて内容を説明します。この時期においては政治将校が政治教育する時のデイリー教材みたいなイメージが正しいのかもしれません。

 基本的に原本はタイプライターで入力されています。そしてゲラ版・石版・コンニャク版など発行量に応じて部隊に配備される印刷機も変わっています。これから紹介する新聞は見開き一枚分、一枚の紙を二つ折りにして四面に分けられているものが多いのでそのようなのを想像していただきたいです。

 

 軍管区(方面軍)*1の新聞は日刊ですが、主な内容は標語の普及や国際国内事件の解説などです。日刊であるがゆえに大量出版は可能ですが、出版機材の移動が困難だったため、戦況が激化した時は軍団新聞がメインになったそうです。

 軍団新聞は四面の活字新聞で、発行は隔日でしたが、出版が安定しており軍隊新聞の基盤となっていました。また材料が多い時は、紙面を二面に減らす代わりに毎日発行することもできます。ちなみに軍管区新聞よりも移動が楽であるとのことでしたが、事実、軍団新聞には2両の1.5トントラック(GAZ-AA?)または馬車が置かれており、戦線の移動に対する対応力がありました。ちなみに赤軍の編成には軍管区(方面軍)ー軍団ー軍ー師団と分かれているのですが、今参照している資料には軍の記述がありませんね…… しかも軍団は戦時中解体された時期があるので、その間新聞組織がどのような役割を果たしていたのか不明です。なお筆者の知る限り、戦時中に軍レベルで新聞は発行されています。

 師団新聞は基本的に他の新聞の補助的な役割を担っています。独自の掲載内容は、兵卒の補給情報です。こちらもガリ版または石版四面で、発行頻度は基本週2回以下ですが、軍団新聞がなんらかの事情で休載している時には隔日です。

 連隊・中隊

 これらの新聞はより細分化された部隊における新聞事情です。注意しておきたいのが、戦況が激化するとこのレベルでは発行を担当する政治将校も他の業務に悩殺される場合が想定されるのでやはり軍団新聞が基本とのことです。またこれらの新聞は部隊内の共産党局の機関紙という扱いになるので、共産党の編成がない中隊等では発行されないようです。『赤軍讀本』には、共産党の連隊ビューロー(その主任は書記)、そして共産青年同盟の連隊ビューロー(同盟の連隊オルガナイザー1名を有す) として政治機構が存在するとしています。その二つのどちらかが編成された部隊のことを指すのでしょう。

 また内容も「陣中生活及びに戦場生活」の特集が多く、軍団新聞の主方針に依りつつも比較的日常に根差した通知や情報が掲載されているのも特徴です。

 連隊新聞はコンニャク版または石版四面です。発行頻度は「普通一ー二回とす」とされていますが、一週間のうちに、ということでしょうか?

 中隊新聞になるともはや出版されません。必要な場合に限り、手書きの壁新聞を作成して兵営の目につくところに張り出したり、「レーニンの肖像を掲げたる室」(中隊政治指導員の事務室兼図書室だったレーニン室を指しているのでしょうか)の壁に貼られた白紙に必要事項を付箋紙で貼っていく「イリチヨフカ」型、やスクラップブックを作ったりと色々な方式がありました。壁新聞は一般兵士の目に届きますが、それ以外は概してレーニン室に出入りする政治将校たちが連絡事項を共有するための役割が強かったのでしょう。

 

内容

 次は内容にも触れてみましょうか。これに関しては各新聞につき色々あるのですが……とりあえず主軸となる軍団新聞政治軍隊日常生活に分けて見てましょうか。ちなみにこの分類は筆者の独断と偏見によるものなので悪しからず。

政治

 一番最初にあるのは論説欄です。赤軍兵卒が果たすべき任務を具体的かつ簡潔に説明し、標語などもここに掲載されています。一番大事な部分と言っても過言ではないので、編纂部自身が執筆するかまたは方面軍・軍団参謀長や政治部長の文章が採用されます。一般政治欄ソ連国内外のニュースがイデオロギー的に解釈された上で説明されています。敵国欄では、敵対する国家・軍隊の諸問題が誇張され階級・民族問題を大きくあげつらい、軍隊の長短を論じています。これらの欄に共通していることは、やはりイデオロギー的な解釈を通じて情報などが歪曲されたり誇張して伝えられている部分が多く、赤軍の機関紙たる意義を大いに発揮している箇所とも言えます。

軍隊

 この欄では軍事機密に注意しながらも、赤軍自体を特集している部分です。作戦広報欄では、戦況の推移を掲載しますが、もちろん司令部が許可した内容のみで、劣勢時には内容が精査されます。軍事宣伝欄は戦術・戦法における改革や、訓練の変化など戦闘技術に関する情報が多く掲載されています。当然、許可された内容だけですが。赤軍雑報欄は銃後や他部隊に関する情報などが掲載されます。

 

日常生活

 軍団生活欄は軍隊における生活を特集しています。住民関係や補給・衛生の情報も掲載されています。軍事通信員欄には軍団より下位クラスの新聞編纂者に対する注意事項などが書かれています。また兵士から新聞編纂部に投書を行うことも出来ます。これは読者たる兵卒と編纂部との連絡方法として重宝され、投書を定期的に掲載したり相談に答える投書及び相談部があります。もちろん投書は厳正なるチェックを受けた上で、部隊の内情把握にも使われたりします。最後に風刺諧謔があります。ユーモアは部隊指揮官の尊厳を傷つけない限りにおいて推奨されていましたし、敵に対してはその限りがありません。また絵の上手い人間を登用して、定期的に風刺画を掲載していたこともありました。

 

最後に

  さてこれまで労農赤軍内部の新聞について説明してきましたが、これは一面に過ぎないことを留意していただきたいです。今回取り上げた新聞の数々はロシア語で発行されていましたが、多民族を擁した労農赤軍では現地の民族文化に適応した新聞が発行されていました。

 そして再三主張してきましたが、新聞が小隊につき1~2部という割り当ても、大祖国戦争で適応されたのかさえ疑問です。前述した通り、師団新聞が各兵士に配られる写真や、プラウダを読む兵士の写真が残されているのにその基準が当てはまるのかは不明です。

 この奇妙さを説明するカギは識字率にあるのかもしれません。ロシア帝政末期・ソ連時代には識字率を向上させるための努力が継続的に行われてきました。結果ソ連全体の9〜43歳の識字率は1926年に56.6%、戦争直前の1939年には87.4%と大きく向上します。*2 つまり赤軍内でも、この期間を通じて継続的に識字率が向上し政治指導員のレクチャーなしに新聞を読める兵士が増えているのです赤軍の新聞事情とは、こうした社会の変容を反映していたのかもしれません。

 

参考文献・リンク

赤軍戰時の政治作業』偕行社

赤軍読本』陸軍画報社

日蘇通信社編『蘇聯邦年鑑. 1940年版』日蘇通信社

高橋利雄 述『ソウエート聯邦の国民軍事化』教化団体聯合会

早瀬晋三『日本占領・勢力下の東南アジアで発行された新聞』アジア太平洋討究No.27

ソ連言語政策史再考

 

 最後になりますが、独ソ戦中に発行された部隊新聞については、下記のリンクを開くと実感できると思います。ただ、リンク先が保護されていないので開く際は自己責任でよろしくお願いします。

↓ムルマンスクのパルチザン組織の新聞について、一応こちらだけリンクは保護されています。

murmansk.bezformata.com

 ↓レニングラード方面軍及び配下の軍の新聞について。風刺画も多く掲載されています。

sertolovo-online.ru

赤軍によるヴイボルグ攻勢中のレニングラード方面軍新聞『祖国の守り手』の記事が掲載されています。

ristikivi.spb.ru

*1:平時は軍管区ですが、戦時には方面軍になります

*2:ソ連言語政策史再考より引用