レーニンの部屋

色んな視点から独ソ戦を見るブログです

ブジョンヌイとアコーディオン

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演奏するブジョンヌイ

ジェフリー・ロバーツ『スターリンの将軍 ジューコフ』によると、晩年のジューコフが受けたインタビューにはこのような質問があった。

 

Q.(インタビュアー) うらやましいと思う友人はいますか?

A. (ジューコフ)いるとも!いつも(元帥)ブジョンヌイをうらやんでいた。彼はアコーディオンの名人だった。

 

 

www.youtube.com

↑ブジョンヌイとザイツェフの二重奏です。これをBGMに流しながら読むと面白いかも…?


 ジューコフが言及した男はロシア内戦の英雄かつソ連軍の重鎮、セミョーン・ミハイロヴィチ・ブジョンヌイその人であった。

 軍人として猛々しいキャリアを積んだ反面、音楽を愛好し自ら演奏に興じるソ連の将軍たちの姿がこの質問をとおして浮かびあがる。本稿では、ブジョンヌイという人物がいかにアコーディオン演奏を楽しみ、どのような性格を持っていたかを探る。しばしば独ソ戦史では手厳しい批判を受けがちなブジョンヌイであるが、一音楽愛好者としてはどのような人物だったのか。それを紐解いていこう。

 

 その前に軽く、彼について紹介する。20歳で帝政ロシア軍に入り騎兵科に配属されたブジョンヌイはその後日露戦争第一次世界大戦で赫々たる武勲をあげ下士官に昇進する。ロシア革命が起きると、多くの将校が既得権益階級として排斥されたため、下士官の彼は共産党との関係性を深めトントン拍子に出世する。帝政ロシア軍の後継たる労農赤軍内では、騎兵運用の専門家として重宝された。また第1騎兵軍司令官時代には、後の赤軍の実力者ヴォロシーロフやスターリンを上司に頂き強力なコネを築き上げていたので、スターリン時代が到来すると彼の権威は増大するばかりであった。彼は騎兵総監として騎兵の育成に力を入れるだけでなく、1935年にはソ連邦最初の五元帥の栄を受け、大粛清の魔の手も逃れ充実したキャリアを享受する。

 

 しかし、独ソ戦が始まってからの彼の活躍は芳しくないと言わざるを得ない。よく指摘されるのは、騎兵という兵科自体が第二次世界大戦期には時代遅れなのに、彼の運用思想は更新されることがなかったという点だ。これが故、彼は失態を続けたと理由付けられる。ただ上述の内容はすでに時代遅れとの批判もあり、独ソ戦期におけるブジョンヌイの評価は大きく分かれている。

 結局のところは…正直、筆者には判断し兼ねるので読者に委ねる。それは本稿の趣旨ではないし……(逃げ)*1 ま、まあアコーディオン弾くおじさんの姿見て和んでいってよ!!

 

アコーディオンに興じる将軍

 

 ブジョンヌイの関係者は口を揃えて、彼は良い耳を持っていたと証言する。ロシア国防省の彼の項では娘のニーナが「父はなんでも演奏できた。ボタンアコーディオンだろうが、ドイツ式の複雑なアコーディオンだろうが(意訳)」と述べている。どうやら彼はこと楽器に関してはなかなか器用な才を見せたのだろう。

 さて、ブジョンヌイが演奏していたこのアコーディオン。ロシアでアコーディオンといえば、兵士が『カチューシャ』や『スラブ娘の別れ』などを演奏しているイメージがあるが、実際はどうだったのだろうか。以下の論文ではГармоньと呼ばれる当時のボタン式アコーディオンについて、このような説明がなされている。

 

ボタン式アコーディオン1830年代にドイツからロシアに入ってき、各地で手工業製の生産が行われ、地方色豊かである。本格的に民衆の間に普及し始めたのは,第2次世界大戦後のことである。人気はあったが高価な楽器であり、村に1台あった楽器を皆で使用するといったケースが多かった。N地区に1930~40年代はバラライカは1つの村に2~3台あったのに対して、ガルモーニはほぼ1台、あるいは数村に1台だったという統計が得られた。

ロシア語ロシア文学研究 (日本ロシア文学会、2007) 『1930~40年代コストロマ農村におけるバラライカの演奏の場』柚木かおり

 

 またこのサイト*2では、革命以前は労働者階級の楽器として軽視されていたアコーディオンが、革命すると一転してソ連を代表する楽器として生産に力が入れられたと記述されている。しかし先述の通り実際には数が充実していなかったのだろう。故にアコーディオンを演奏できることは一種の特殊技能であり、一つの職業として生活できるレベルだったのだろう。現に、農村のガルモーニ奏者は給料をもらってやってくるそうだ。昔で言う吟遊詩人のようである。

 ロシア内戦である程度地位を確立していたブジョンヌイにとって、アコーディオンを入手することは資金的にそれほど苦しくはなかっただろう。むしろ、彼がいつ演奏を始めたかが気になるところだが、これは正直分からない…… おそらく彼の回想録に記述があるのかもしれないが、現在の筆者の力ではそこまで及ばない。識者の助力を願うばかりである。

 さてさて。一つだけ言えることは、ブジョンヌイはロシア内戦時に大事な出会いをしたことである。それは彼の部隊に所属していた兵士のグリゴリー・ザイツェフ(Григорий Зайцев)である。ザイツェフは独学でアコーディオンの演奏を会得しており、金属加工職人の道を勧める両親の期待に反して、ロストフの蒸気機関車工場で働きながら演奏を続けた彼はいつしかロストフでも有名な演奏家になっていた。そしてロシア内戦で赤軍に徴兵され、ブジョンヌイと出会う。この出会いは、ブジョンヌイの音楽人生に大きな影響を与えた。内戦が終わった後も、2人は毎年のように顔を合わせていたという。ブジョンヌイは彼を非常に気に入っており、「彼が私をアコーディオン奏者にした」とまで言っている。

 ザイツェフとブジョンヌイはしばしばデュエット(二重奏)するほど馬が合っており、ブジョンヌイの数少ないアコーディオン演奏の録音は全てその際のものである。この録音は「バヤン・デュエット」という名前で音楽出版され、ソ連社会でも流通していたそうである。2人とも自身の作品を非常に好み、ザイツェフはこのレコードを流す際いつも周囲に沈黙を求めたそうだ。

 

まとめ

 厳しい顔つきでロシア内戦の赤軍を体現する風格を醸し出すブジョンヌイ。一方で、スターリンの側近として大粛清を逃れたり、大祖国戦争独ソ戦)期の辛い評価など毀誉褒貶の激しい人物である。そんなブジョンヌイではあるが、このように音楽を愛好するなど意外な側面がある。アコーディオンを通じて友情を育み、ジューコフに嫉妬され、レコードを出版する、そんな一面があったのだ。これ以降、あの髭面のおじさんを見るたびにそんな繊細な面があったんだなと思っていただければ筆者としてこれ以上ない喜び?である。 

 

lightaudio.ru

 ちなみにブジョンヌイとザイツェフのデュエットはここで聴けるのでぜひぜひ。ブジョンヌイ行進曲に代表されるような猛々しいソ連音楽ではなく、ロストフの風土感じさせるロシア民謡を演奏してるのが最高にエモいと思います!

(てかザイツェフの顔写真、なんで検索しても出てこないんだろう?)

 

 

参考文献・リンク

ジェフリー=ロバーツ 2013 『スターリンの将軍 ジューコフ』松島芳彦訳 白水社

『ソヴィエト赤軍興亡史2』学研

柚木かおり 2007「1930~40年代コストロマ農村におけるバラライカの演奏の場」『ロシア語ロシア文学研究 』p.85-91

К 130-летию со дня рождения Маршала Советского Союза С.М. Будённого : Министерство обороны Российской Федерации

Баянист Владимир Ушенин :: Издания. Народно-инструментальное ансамблевое исполнительство на Дону

https://clio-historia.livejournal.com/179223.html

*1:相互さんたちから頂いた情報を見てると、キエフ失陥は別にブジョの責任じゃないと思えるし、前線指揮官退いても畜産や監査官としてなかなか活躍してるっぽい。個人的には「無能」の評はいささか不公平な気がする

*2:http://www.ushenin.com/books/book3c01.php